2009年02月16日

なぜ勉強するのか?について

なぜ勉強するのか?

この問いかけに、きっぱりと答えられる方はいらっしゃいますか?
その答えに信念さえあれば、どんな答でも正解だと思います。
賛否は別にして。
ちなみに私の答えは、

「やりたければ、やればいい。やりたくなければ、やらなくていい。」
です。

自分の人生は自分で決めるんです。

子どもが勉強する動機は、人により、また時期により様々です。
好奇心のおもむくままに勉強する子、負けず嫌いで勉強する子、モテたくて勉強する子、仕方なく勉強する子・・・
しかし私は、勉強より大切なことが、世の中にいくらでもあると思います。
運動、健康、友情、思いやり、社会のしくみ、趣味、自己・・・。
それらの大切なことを犠牲にしてまで、なぜ勉強するのか?
男は筋肉を、女はしたたかさを身につけ(逆でもいいと思います)、健康で、楽しい家庭を築ければ、それで十分楽しい人生が送れると思うのですが。いかがでしょうか。

しかしそれでも“勉強”はあるとき強迫観念となり、もしくは年中行事のように心を支配することがあります。
「中学受験するって決めたから後戻りできない」
「みんなが高校行くから」
「テスト勉強全然してない。やばい」
「そろそろ予備校でも行くか?」
などです。
そうしているうちに本気になったり自分を見つめなおしたりすればいいのですが、身が入らなければ時間の無駄。
結果はついてこないし、何も身につかない。何も変らない。
不幸ですね。

実は勉強は、スポーツや芸術と同じ位置づけなのです。
自分の意思で、興味を持って、一生懸命努力して結果を出せば身になるし、人生や人格に幅を持たせてくれます。
すごい結果を出せばそれで食っていけるようにもなります。
また、勉強もスポーツも芸術も、人間の本能に基づくという面があります。
小さな子が体を動かしたがるのと同時に絵を書きたがり、字を読みたがるのは、人間には身体の成長、審美、知識欲という本能があるからです。
勉強とは、本来そういったものなのです。
しかしながら、勉強にだけ、別の面があります。
現在の社会においては、勉強はできないよりできるほうがいろいろと有利だ、という面です。
例えば公務員試験はペーパーテストで合否を判定されるし、大卒や高卒が要求される職種や企業も多く存在します。
人生の選択に幅を持たせるためにも、勉強はやっておいて損はない、という考え方です。
この考えは根強いので、社会のしくみを身を持って理解されている
親御さんなら、子どもに勉強してほしいと思うのは親心でしょう。

では、ここでみなさんに質問です。

@勉強さえできれば、ほかの事はどうでもいい。
A勉強も大切だが、社会に出てからは「他の能力」も要求されるはずだ。

みなさんは@とAのどちらに近いですか? 
現実を見ると、学者になるのでなければAが正解ですよね。
みなさん身をもって体験されていると思います。
では、勉強以外に大切な「他の能力」とは何でしょうか。
社会でがんばっている方ならすぐに思い当たるのではないでしょうか。
我慢すること、努力すること、人の身になって考えられること、協調すること、主張すること、自己管理すること・・・などなど。
すると、これらの能力のうち、勉強で身につけられそうなことがありますね。
実は勉強ができるということは、これらの能力があるのではないか、と他人から推測させるわけです。
勉強と仕事には共通点があって、勉強ができる=仕事ができる、と推定されるわけです。
あくまでも推定、ですが。
すると高学歴の方が、低学歴より使える、と自治体や企業は考えるわけです。
そしてそれが統計上(あくまでも統計上です)当たっているので、学歴が利用されるのです。
もちろん高学歴でも使えないやつもいるし、低学歴でも使えるやつもいます。
しかし統計上、高学歴が5人中4人が使える、低学歴は5人中3人が使えるのなら、やはり高学歴を採りたがるでしょうね。

ここで、「EI」という概念を紹介したいと思います。
「EI」とは「Emotional Intelligence」の略で、日本語では「情緒の知能指数」となるでしょう。
この概念をメジャーにした人はダニエル・ゴールマンでしょうか。
「EQ〜心の知能指数〜」が1980年代から90年代にかけて大ベストセラーになりました。私も繰り返し読みました。
その本の内容と、心理学的に定義されている「EI」を合わせると、
次のようになります。

・情緒は、社会生活においては知能指数よりも大切である。知能指数が高い者よりも、情緒の優れている者のほうが豊かな生活を手に入れている。これは統計的に明らかである。

・情緒の優れている者とは、情緒の豊かな者ではない。自己を自覚し、自己を制御し、他人に共感し、他者や社会との関係を自覚し、もって自己を最大限生かすことのできる者のことである。

なるほどごもっとも、と思うのは私だけではないでしょう。
いかがでしょうか。
ここで注目したいのが2項目目の「自己を自覚し、自己を制御し、他人に共感し、他者や社会との関係を自覚し、もって自己を最大限生かすことのできる者」です。
簡単に言えば、「自分を過大評価も過小評価もせず、我慢ができて、空気が読めて、意欲のある人」ということでしょう。
故事成語で言えば、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」となるでしょう。
昔の人もとっくに気づいていたのですね。
逆に、「自分を過大評価(または過小評価)して、わがままで、空気が読めなくて、やる気がないヤツ」は、将来とても困るわけです。
私などは一応、塾の経営者ですから、入塾してくる生徒のこの辺を見ているわけです。
勉強以前の問題ですからね。
授業や面談を通じて、この辺がまずい生徒は自覚させてやらなくてはなりません。
簡単なことではありません。
生徒は10年間から17年間もそのように生きてきており、また多くの場合、本人のせいだけではありません。
ただし、これが重要なのですが、「自分を過大評価(または過小評価)して、わがままで、空気が読めなくて、やる気がない」のすべてに当てはまる子はそうそういません。
成績不振の子、あるいは伸び悩んでいる子は、これらのうち1つか2つに当てはまります。
その場合、親御さんの責任だけではなく、そうしてしまった責任は
学校、友人、塾や他の大人にもあると言えます。
そういった子の情緒とともに成績を改善させるのが、私の役目です。
私の塾が存在する意義です。
どうかご期待ください。
しかし、「自分を過大評価(または過小評価)して、わがままで、
空気が読めなくて、やる気がない」の3つか4つすべてに当てはまる子の親御さんは、ここで自覚していただきたい。
中学生にもなって「自分を過大評価(または過小評価)して、わがままで、空気が読めなくて、やる気がないヤツ」が自分のお子さんだとしたら、あなたの子育てが間違っています。
他に誰が悪いのですか?それでも他人のせいにしようとなさるなら、それこそが間違いなのです。
その情緒がお子さんに乗り移っています。
そのような親御さんほど塾に「ああしてください、こうしてください」
といいますが、それ、全部間違ってますから。
どうか自覚してください。
過ちに過ちを重ねないでください。子供は自覚さえすれば、勝手に修正して成長していきますから、どうか見守って、口を出さないでください。

さて、情緒が大切だ、という話をしました。
そして「情緒」とは喜怒哀楽が激しいことではなく、「自己を自覚し、
自己を制御し、他人に共感し、他者や社会との関係を自覚し、もって
自己を最大限生かすことのできる」ことでした。

ここでもう1つ大切なお話を。
情緒は生まれつき備わっているのではなく、学習するものだということです。
よく、「頭の良さは遺伝と環境で決まる」と言われますよね。
その「頭の良さ」は知能指数の部分、「環境」が情緒の部分でしょう。
情緒は、生まれたときからの環境で育つものなのです。
では、また質問です。

@頭がよくて、あきらめの早い子。
A頭が悪くて、粘り強い子。

どちらの子が将来、豊かな人生を送る可能性が高いと思いますか?
「豊か」の定義にもよりますが、あきらめの早い子が大成するとは、私は思えません。
ここで言ってる「頭のよい・悪い」も話せば長くなるのですが、簡単に言えばたいした差じゃないってことです。同じ人間ですから。
例えば東大生の中でも、本当に頭のよい子は半分くらい、というのが
私の実感です。
半分は努力の人です。私の高校からは大量に東大に入っていたので、
そいつらを見ていればわかります。
まして早稲田くらいになると、頭がいいなと思うやつは2割くらいです。8割は凡人。私も凡人です。
凡人がどうやって東大や早稲田に入ったのか? は話せば長くなるので別のコーナーに譲りますが、後天的に身につく頭のよさもあるということです。
粘り強い子、あきらめない子、あきらめたくない目標を持つ子は、勉強面でも必ず伸びます。
伸びる方法を探ってあげるのです。
そして、きっと楽しい人生を送れると信じています。