2009年02月20日

個性について

個性とは難しい概念ですね。
大辞林には「個人・個物を他の人・物から区別しうるような、固有の特性。パーソナリティー」とあります。
これによると、みんな個性があることになります。
当然ですね。
「万引きが得意な個性」とか「動物を虐待するのが好きな個性」とかも個性に当たりますね。
「個性を伸ばす」のであれば、万引きな得意な子は将来空き巣犯に、動物を虐待するのが好きな子は将来保護動物密輸人になれるよう目標にするべきでしょうか?
んなわけないですね。

すると「個性を伸ばす」というスローガンはおかしいですね。
結局、我々が望む個性とは「いい個性」ということになりますね。
「悪い個性」は個性にならないらしいです。

確かに、万引きとか虐待とか、法や公序良俗に反する個性は絶対にまずいですよね。
それも個性だと言い切るのは詭弁だと思います。

でも、ビミョーなラインはどうなんでしょうか。
「親や先生に反抗的な個性」とか「集団生活が苦手な個性」なんかです。

私のスタンスとしては、何にでも疑問を感じてほしいし、個人プレーが好きなら集団を避ければよいと思っているので、反抗的でも集団が苦手でもオッケーなんです。
むしろ徒党を組まないと行動できないやつとか、朝礼で30分立ちっぱなしなのに疑問を持たないやつとかは不思議に思います。
が、一般的には反抗や個人プレーは「悪い個性」とみなされるのでしょうね。
反抗が悪いというのは大人の論理、集団嫌いが悪いというのは集団側の論理だと思うのですが。

では、「ゲームが大好きで毎日寝不足」な個性や「詩ばっかり書いて1日の半分は空想している」個性はどうなんでしょう。
こういう個性は将来、前者はゲームデザイナー、後者は作詞家になるかもしれないのですね。
でも、矯正しようとしますよね。大人は。ふつう。
成績が下がりますから。

すると、個性より勉強が大切だ、という結論になります。
あれ?
「個性を伸ばす」ってスローガンはどこへ行った?
たしかに
あまり言われなくなりました。
ゆとり教育はなくなり、文科省も「個性、個性」と言わなくなりました。
結局、「個性」を主張できるのは勉強してから、ということになるんですね。

確かに、個性とか自由とか、尊重してほしければまず義務を果たせ、という理論はわかります。
私も、権利ばかり主張して相手のことを考えない、義務を果たさないやつはどうかと思います。

でも勉強って、義務ですかね?
無理やりやらせるものですか?
無理やりやらせて、どれくらい頭がよくなるのですか?
暗記したものはテストが終われば全部忘れる。
新しい英語長文が出ると読み方がわからない。
そんな勉強をするくらいなら、遊んでたほうが将来何かの役に立つと思いますが、いかがなもんでしょうか。
遊ぶばかりでなく、親の手伝いをしたり道や公園のゴミ拾いをしたりすれば、下手な勉強よりよっぽど賢くなると思います。

ヤバイと思えば、子供は勝手に勉強し始めます。
興味を持ったものがあれば調べ始めます。

私なんか寝そべってマンガとか図鑑とか読んでいたんで、机に座って勉強した記憶は小6までないんです。
人と同じじゃなくてもいい。
自分は自分と思ってました。
それが個性なのではないでしょうか。

個性が叫ばれなくなった今こそ、あの個性ブームは何だったのか、個性はどこへ行くのかと考えてみたく思います。

人と同じ勉強の仕方をしていたら、たぶん苦しいと思います。
自分で楽しい、うれしい、やる気になるという勉強法をさぐり、それを信じてやってみてはいかがでしょうか?
そうすると個性的になるような気がします。

ちなみに私の外見は、ちっとも個性的ではありません。
日曜日にダイエーで買い物に付き合う、フツーのオヤジです。
生き方はフツーじゃないですが。


posted by MJ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 個性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする